おとといの夜1時頃、ふとんのうえで丸まってこれからの色々なことを考えていたらとてつもなく寂しくなって、不安になって嫌な感じのドキドキを感じて、誰か・・・!と思って携帯電話を手にとってみたけれど、こんな時間に電話をかけたら迷惑だろう、と思うよりも先に、この人に電話しよう!と思い浮かぶ人がおらず、電話帳をあ行から全部見て、この人なら起きてるかも・・・?と、ものすごく久しぶりの男友達に電話をかけてみた。5回コールして出なかったので寝てるんだと思ってため息をついていたらすぐに折り返してくれた。どうしたの?と聞かれ正直に理由を答えた。2月に結婚したことを聞いてちょっと上がったけど、寂しくもあった。少しだけ話して電話を切った。電話を切るときに「だいじょうぶか?」と心配してくれていたので少し嬉しかった。
電話を切ってから、やっぱり寂しさは変わらなくて、わたしは寂しいままだった。ああ、わたしはひとりなんだなぁ、って改めて思い知らされた。腕についた傷跡を見ても、それでも好きだと言ってくれる人もいたけれど、わたしはひとりだ。
次の日、ひらめいたように解ったことがひとつあった。「わたしが愛されないのは、わたしが愛さないから」人を愛することが怖くてたまらない。だってそれは悲しみの元になるかもしれない感情だから。好きになる事も、愛すこともできない。傷つくのがこわいから自分を守る為に愛さない。期待しない。求めない。ひとつのものに愛情を注がない。だってそれは悲しみの元になるから。不安や寂しさの元になるから。
今、現時点でさえ不安で不安で仕方なくて寂しくて怖いっていうのに、これ以上不安要素を増やしてどうするんだ。錠剤に頼ってなんとか生きてられてるっていうのに、今以上に種類と数を増やす事になるかもしれない要素を増やしてどうする。でも、それでも厳しい方を選ぶのは自分なわけで、今までもそうやって厳しい方、めんどくさい方を選んで生きてきたわけだからこれからもわたしはそうやって生きていくんだろうな、って解ってる。もっと上手に生きたいよ。それができないのなら、もう消えてなくなってしまいたい。